いのちは、遊びじゃない。
画像は湯西川の雪だるまくん
大宮にも、積もるくらいの雪が降りました。
降った次の日の朝にはほとんどとけてしまったんだけど。ちょっと残念。
昔、雪の日にネコを拾いました。
雪の日に拾ったからゆっきと名前をつけました。
福井で大雪が降って大渋滞してる道路の真ん中をよろよろしていたので「どーしよー;;」みたいな感じで保護して、飼い猫だったら困るけどそのままにしておいたら多分死ぬのでしばらく様子を見て結局連れ帰りました。
その時連れて行ったお医者さんで「この子はおじいちゃんで目も見えないよ」と言われたのであれまあ長くはないかなあと思いましたが現在も元気に生きています。
子どもの頃に、以前もこのブログで書きましたが、よく秘密基地ごっこみたいな遊びをしていました。
大人にナイショの自分たちだけの「何か」がある感じが嬉しかった。
ある日、その「何か」は2匹の子猫でした。
寒い冬の日、公民館にグレーと茶のカワイイ子猫が捨てられていました。
お母さんに見せたら多分怒られるから公民館のわきで友だちとこっそりかつおぶしをあげたりしました。
ワクワクしました。
菓子箱を持ってきて(それとももともとそこにあったのかもしれない)、ネコのお家にしました。
ネコは可愛くて、かつおぶしも多分よろこんで食べていました。嬉しくて、楽しかった。
いいものみつけちゃった、なんて思っていたら、すぐ、ホントそう、すぐに、
朝の公民館のわきで、子猫は菓子箱の形になって2匹で四角くくっついて死んでいました。
ふわふわの子猫はかちかちにかたくなっていました。
そのネコ達とほとんど思い出なんてなかったので、純粋にカワイソウだな、って思って結局友達とお墓を作ったりするのも子どもにしてみたらまた遊びの一環なのでしょうが、
冷たくなったネコをみて
生命は玩具じゃないんだ。
とその時の私が思ったかどうか?でも潜在的に身に付けたのかも。
私には秘密基地から帰ればあったかいお家があるけれど、
ネコにしてみたら生きるか死ぬかで、ましてや生命力のない子猫。
かつおぶしも遊びでがっついていたわけじゃない。
ゆっきを拾い上げたことでそのことに何の答えを出したわけではないけれど