うちのトイレにはウンコ野郎の神様
はい、こなさんみんばんは。
(ふる~う。)
お米の販売でどたばたしています。
皆さん、美味しいはぜかけ米買ってください。
買ってくれる方はメールをば。
最近ブロマガの方書いてないので、読者いなくなっちゃいましたね(笑)
これブロマガのつもりで頑張って書いてるんでカンパと思ってご登録下さい。
まあ冗談です。
急に寒くなったんで皆さん風邪なんかひかないよう。
私は仕事が年寄り相手なんで、意地でも風邪はひけません。
さて、とりあえず今日は咥えてみます。。
↓こういうウイスキーの瓶があります。
これを見てこういうこと考えるのは私とまあ、数名はいるかなってくらいですかねえ。。
物事に関しては人それぞれ、いろんな考え方があります。
少数派、多数派、と分けられようがなんだろうが、
自分の考えは自分自身に根付いているもんなので、そんなもんどうしようもないです。
遠い遠い昔、
小中学生の頃、
学校の掃除と言えば、私はトイレ掃除ばかりしていました。
数年前に、トイレには何やらきれいな神様がいるという歌が大流行しました。
よく知らないので、誤解があるかもですが、
トイレを綺麗にしておきましょう、
それはきれいな心?的なものにつながりますよ、
という感じの歌なのかしら、と思うんですけど。
これはですね、ワタシが思うに、
根本的にはトイレがばっちいと思ってる人の
考えることだと思うんです。
悪く言うとかではなく、まあ聞いてちょうだいね。
私はですね、基本トイレを汚いとか、全然思わないんです。
そりゃ、花見の時期の公園のゲロとウンチまみれの水も流れないドアも閉まらないようなトイレは
さすがに「うへ~」と思うわけですが、それでも水道ホースブラシでもあれば通常営業くらいに仕上げたいと思います。
要は、臭いーとか、ウンチーとか、バイキンーとか、その辺の概念に非常に疎いんです。
外から帰ったそのままの手でおにぎり食べちゃうくらいな感覚です。
まあ、褒められたもんじゃありません。
そんなわけで、私にとってトイレは汚くないんです。
家のトイレも、立って磨くのがメンドイのであぐらで便器を抱えて磨きます。
で、なにが言いたいのかと言うと、
なぜ私は、ずっとトイレ掃除をしていたのか。
まず、トイレの掃除は、楽です。
狭いし、どこにでも水があるし、
20分程度の学校の掃除の時間で、あんなに楽に完璧に綺麗に出来る場所が他にあるでしょうか?
トイレは何故かケチくさい学校という場所でも掃除用具がきちんとしてます。
サンポール、ブラシ、雑巾、ホウキ、石鹸や匂いのするボールも、
学校クオリティであそこまでいろいろ揃ってるところは他になかなかありません。
何だか特別いいものを提供されてる優越感があります。
体育館なんて泥水みたいなバケツで行ったり来たり、綺麗になったのか?でもとりあえずやってます、
教室の全部のホコリなんか取れるかい!机動かして掃いてモップして机運んでめんどい、それが学校の掃除です。
そんなことに気付いた少女ワタシは、トイレ掃除ばかりに手をあげていました。
毎週末には洗剤ばらまいてタイルをデッキブラシで磨いていました。
遊んでるのと同じ感覚でのトイレ掃除、あ~楽だ、あ~楽しい。
なのに、周りの反応は、
「トイレ掃除をすすんでやってえらい」
「いつもトイレを凄くキレイにしてくれてえらい」
そこで子供ながらに、気付くわけです。
先に述べた、そういう仕組みに。。。。。。
いい子ぶりたいわけではないですが、自分自身はトイレ掃除は
「楽で楽しい」し
その、微妙な感覚の違いで
それこそ私は
トイレの神様、みたいな存在になるわけです。
しめしめ~という気持ちと、狭いところの掃除は楽だという気持ちと
そんなんでずっとずっと、トイレ掃除をしていました。
しかしですね、そもそも私は、
トイレを汚いなんてこれっぽっちも思っていない
(ウンコ触れ、喰え、とは別の問題です)
トイレ掃除は褒められる、トイレ掃除は楽だ、
そんな気持ちでいるワタシの心の中に、
その、トイレにいるという、きれいな人になるもとになる、神様?
なんて、当然いないわけです。
いるのは、ずるいウンコ神様(まあ、ウンコ愛好者には失礼だけど、こんなふうに私は思うわけで)
くらいなもんです。神様、っちゅうか、ウンコたれな精神しかないわけです。
そんなわけで、あの流行った歌のような気持ちに私がなるには、
嫌だなあ~と思う廊下や教室や体育館の掃除係にならないといけないわけです。
それはご免、と、私はずっとトイレ掃除をして、
内申書も良くなって、トイレをばっちい方と思う人たちから感謝までされて、
先の、あの歌のような、そういう事に多くの人が共感すればするほど、
うちのトイレにはうんこの精神しか宿らないわけでございます。
と、言っても、そこには特にそんな精神も糞もなく、
トイレにはトイレの洗剤と除菌シートと消臭剤とトイレットペーパーと便器とワタシ・・・があるくらいです。
(ワタシは常時はないか。)
なんの感情もない。
トイレがなきゃ大変。困る。大事。
という「事実」
それくらいなもんです。
そしていつか私は食中毒にでもなって自分のズボラさを呪う、んでしょうね。
食中毒な自分を憂いで。。。
アンヌイな感じで締めてみますか。
さらっと好感コメ大歓迎、
クドクド反論自分語りは自分のブログでどうぞ。見ないけど。。。
(ふる~う。)
お米の販売でどたばたしています。
皆さん、美味しいはぜかけ米買ってください。
買ってくれる方はメールをば。
最近ブロマガの方書いてないので、読者いなくなっちゃいましたね(笑)
これブロマガのつもりで頑張って書いてるんでカンパと思ってご登録下さい。
まあ冗談です。
急に寒くなったんで皆さん風邪なんかひかないよう。
私は仕事が年寄り相手なんで、意地でも風邪はひけません。
さて、とりあえず今日は咥えてみます。。
↓こういうウイスキーの瓶があります。
これを見てこういうこと考えるのは私とまあ、数名はいるかなってくらいですかねえ。。
物事に関しては人それぞれ、いろんな考え方があります。
少数派、多数派、と分けられようがなんだろうが、
自分の考えは自分自身に根付いているもんなので、そんなもんどうしようもないです。
遠い遠い昔、
小中学生の頃、
学校の掃除と言えば、私はトイレ掃除ばかりしていました。
数年前に、トイレには何やらきれいな神様がいるという歌が大流行しました。
よく知らないので、誤解があるかもですが、
トイレを綺麗にしておきましょう、
それはきれいな心?的なものにつながりますよ、
という感じの歌なのかしら、と思うんですけど。
これはですね、ワタシが思うに、
根本的にはトイレがばっちいと思ってる人の
考えることだと思うんです。
悪く言うとかではなく、まあ聞いてちょうだいね。
私はですね、基本トイレを汚いとか、全然思わないんです。
そりゃ、花見の時期の公園のゲロとウンチまみれの水も流れないドアも閉まらないようなトイレは
さすがに「うへ~」と思うわけですが、それでも水道ホースブラシでもあれば通常営業くらいに仕上げたいと思います。
要は、臭いーとか、ウンチーとか、バイキンーとか、その辺の概念に非常に疎いんです。
外から帰ったそのままの手でおにぎり食べちゃうくらいな感覚です。
まあ、褒められたもんじゃありません。
そんなわけで、私にとってトイレは汚くないんです。
家のトイレも、立って磨くのがメンドイのであぐらで便器を抱えて磨きます。
で、なにが言いたいのかと言うと、
なぜ私は、ずっとトイレ掃除をしていたのか。
まず、トイレの掃除は、楽です。
狭いし、どこにでも水があるし、
20分程度の学校の掃除の時間で、あんなに楽に完璧に綺麗に出来る場所が他にあるでしょうか?
トイレは何故かケチくさい学校という場所でも掃除用具がきちんとしてます。
サンポール、ブラシ、雑巾、ホウキ、石鹸や匂いのするボールも、
学校クオリティであそこまでいろいろ揃ってるところは他になかなかありません。
何だか特別いいものを提供されてる優越感があります。
体育館なんて泥水みたいなバケツで行ったり来たり、綺麗になったのか?でもとりあえずやってます、
教室の全部のホコリなんか取れるかい!机動かして掃いてモップして机運んでめんどい、それが学校の掃除です。
そんなことに気付いた少女ワタシは、トイレ掃除ばかりに手をあげていました。
毎週末には洗剤ばらまいてタイルをデッキブラシで磨いていました。
遊んでるのと同じ感覚でのトイレ掃除、あ~楽だ、あ~楽しい。
なのに、周りの反応は、
「トイレ掃除をすすんでやってえらい」
「いつもトイレを凄くキレイにしてくれてえらい」
そこで子供ながらに、気付くわけです。
先に述べた、そういう仕組みに。。。。。。
いい子ぶりたいわけではないですが、自分自身はトイレ掃除は
「楽で楽しい」し
その、微妙な感覚の違いで
それこそ私は
トイレの神様、みたいな存在になるわけです。
しめしめ~という気持ちと、狭いところの掃除は楽だという気持ちと
そんなんでずっとずっと、トイレ掃除をしていました。
しかしですね、そもそも私は、
トイレを汚いなんてこれっぽっちも思っていない
(ウンコ触れ、喰え、とは別の問題です)
トイレ掃除は褒められる、トイレ掃除は楽だ、
そんな気持ちでいるワタシの心の中に、
その、トイレにいるという、きれいな人になるもとになる、神様?
なんて、当然いないわけです。
いるのは、ずるいウンコ神様(まあ、ウンコ愛好者には失礼だけど、こんなふうに私は思うわけで)
くらいなもんです。神様、っちゅうか、ウンコたれな精神しかないわけです。
そんなわけで、あの流行った歌のような気持ちに私がなるには、
嫌だなあ~と思う廊下や教室や体育館の掃除係にならないといけないわけです。
それはご免、と、私はずっとトイレ掃除をして、
内申書も良くなって、トイレをばっちい方と思う人たちから感謝までされて、
先の、あの歌のような、そういう事に多くの人が共感すればするほど、
うちのトイレにはうんこの精神しか宿らないわけでございます。
と、言っても、そこには特にそんな精神も糞もなく、
トイレにはトイレの洗剤と除菌シートと消臭剤とトイレットペーパーと便器とワタシ・・・があるくらいです。
(ワタシは常時はないか。)
なんの感情もない。
トイレがなきゃ大変。困る。大事。
という「事実」
それくらいなもんです。
そしていつか私は食中毒にでもなって自分のズボラさを呪う、んでしょうね。
食中毒な自分を憂いで。。。
アンヌイな感じで締めてみますか。
さらっと好感コメ大歓迎、
クドクド反論自分語りは自分のブログでどうぞ。見ないけど。。。