写真は千葉のお母さんの実家。
今はもう誰も住んでいなくて、すぐそばが竹林だったからそれが災いして家中に竹が生えちゃって屋根も突き破られてる。
ちょっとやそっとでは中には入れなさそう。
母方のおじいちゃんが亡くなって、おばあちゃんが体調を崩して神奈川の厚木のおばさんのところに移ったのが7,8年くらい前で、お母さんもそれ以来ここに来るのは久しぶりなんだって。
いつもサンマを買いに近くまでは来ていたんだけど別に何があるわけでもないし、とあえて話題にも出さないでいたみたいで、
今回はお昼を食べるお店を目指していつもとかなり違うルートを走ったらそれがたまたまここの凄い近くだったから探検気分で寄ってみました。
私は探検気分だったけど、お母さんにはもっと意味があったんだろうな。
家の前が竹林だから、子どもの頃筍を掘りに毎年来ていました。
庭には池があって、そこでお兄ちゃんとザリガニを釣っていたら
「おー、とれたなー」といっておじいちゃんが庭のかまどでお湯をわかしてそのグラグラのお湯の中にペットちゃんにするはずのザリガニを・・・。
お兄ちゃんと私は目を合わせて固まり、つまみとなったほかほかてんこ盛りの茹でザリガニをみて、
「ザリガニって、食べられるんだ・・・」とちょっと驚いたこともありました。(←そこ?)
庭のかまどと言えばガスコンロも水道もない家で、池にわいてくる水が飲み水でひしゃくですくって飲み、お風呂は板に乗っかる五右衛門風呂。
今思えばとんでもないイナカのお家です。
筍の時期に来るから、お皿いっぱいの鰹。長野では食べたことないからそれが楽しみだった。
ニッキというかじれる根っこがあるんだースゲー!!帰ったら友達に自慢しちゃう!なんて興奮してたのもこのお家でだったな。
私の長野の実家も負けじと超ど級の田舎ですが、育った家って言うのは何もかもが「当り前」になってしまっていて何にも気にならないんだよね。場所が離れてるのもあってここは私にとって特別自然のびっくり箱みたいなところでした。
最後に来たのは10代の終わり頃・・・
1コ年下のいとこの男の子と夜中ダラダラ喋ってて、「親父の畳屋継ぐんだー」とか「結婚する彼女がいるんだ」なんて年頃トークをしてお母さんに「何時まで喋ってただい」って呆れられたのが最後。
その子が半年後、この家のすぐそばで自殺してしまった時のお葬式は東京だった。
食べられるカエルがいて、たまにウナギがやってきて食べたもんだとお母さんが話すあの池も多分枯葉でもう埋まっちゃっているだろう、って。
この家はちょっと切なくて、おばあちゃんと長男のおじさん(上記の畳屋さん)が些細なことで喧嘩して「こんな家いらねえよ」と言って出てしまってそれきりなんだって。
(話を聞いているとこの場合の「いらねえよ」は多分意地になってのいらねえよ、だと推測されます、お母さんのお兄さんはかなり意地っ張りで結局おばあちゃんのお葬式も来なかった。
(参照)それはそれでいいとか悪いじゃなく、そういう方だというお話。)
税金がかかるからって今はもう手放しちゃったみたい。
思い出の場所が本当に思い出でしかなくなっちゃった姿は何だか切ない。
でも空き地になってなくて良かった。
お母さんが「見れて良かった」って言った顔がちょっと見れなかった。